『東京猫町』『人町』を歩く〜アラーキーの町写真〜

a0158124_9103325.jpg猫を見つけるとなんでだろう、「あ、ねこ!」って口走る。猫は「ねこ」に反応して私を見る。で、一瞬しゅっと身を低くして警戒し、ささっと走り出す。猫は自分が「ねこ」と言われることにすごく敏感だ。自分のことを「ねこ」と呼ぶ人の感情を信じないふしがある。だから、ほとんどの場合、私は猫に撫でさせてもらえない。たとえ、口に出さなくても「あ」というのが猫に伝わって「今、心ん中で『ねこ』って言ったにゃろ」と目を細められて、やっぱりすっと去られてしまう。

アラーキーの『東京猫町』のページを捲ると、自分のこの癖が面白いように出てくる。どのページを捲っても「あ、ねこ」って心の中で口走ってしまう。で、写真の猫と目が合い、一瞬ヒヤリとする。「逃げられる!」とこっちが身構えてしまう。「あと一歩動いたら、行っちゃうかな」なんてどきどきする。そうかと思うと、猫のつぶらな瞳に見つめられて「ね、触ってもいい? 逃げないでくれる?」なんて間合いをはかって指先がぴりぴりしてくるときもある。そういうわくわくする猫との遭遇がいっぱいできる、ちょっと心臓に悪い写真集である。

でも、なぜ写真にまで私は「あ、ねこ」と口走るのか。それはアラーキーの仕掛けのせいである。「猫の写真集」として愛らしい小猫たちがゴロニャ〜ゴとアップで写っているやつだったら私だって「あ」とは思わないのである。ところが『東京猫町』は町の中に住んでいる猫たち(ノラも飼い猫も)の写真集であって、背景は町の路地だとか軒下だとか、空き地や駐車場や道ばたの、いわゆる「その辺」である。だからリアルでどきっとくるのだ。

猫のアップはほとんどなく、近寄ろうかこのままでいようかと迷う猫との静かなる駆け引きの距離であったり、逆に「あれ、猫どこにいるの?」と探すほど遠景であったりする。写真の隅から隅までずいぶんと探して「あ、いたいた、あんなとこに顔出してるよ」なんて『ウォーリーをさがせ』的苦労も強いられる。つまりは、猫の愛らしさをというよりも、猫がうろついているような町、猫町を撮りたくて、そしてそんな町に飄々と住み着いている素顔の住人としての猫を撮りたくて、出来た写真集なんだなと思う。

さっき「その辺」と書いたが、都会では今やノラ猫よりカラスの時代だ。この頃は猫がうろつくところもあんまり見られなくなったのではないか。昔はよく春の宵にさかりがついた猫が鳴いてうるさくて眠れず困ったものだが、最近ではめっきり聞かなくなった。
アラーキーは言う。「猫が消えちゃったら東京は廃墟になっちゃうんだろーニャア」「猫が歩いている町はイイ町なのです」そうだな、と思う。年間に三十万匹もの捨て猫たちが保健所で殺処分されているという悲しい話もあるのだけれど、それでもやっぱり猫は猫としてささっと草むらから道路へ飛び出したり、塀の上や車の下でのんびりと毛繕いしていてほしいなと思う。そこらを行くのが人間と車ばかりじゃ、いずれ町はほんとに血の通らない「廃墟」になると思う。小さき弱きものが共に生きていける隙間がないと。

隙間で思い出したが、猫がうろつくこの「猫町」には隙間があって、町がでこぼこしているように思う。空き地があったり、小道があったり、民家と民家との間に変に空間があったり、塀があったり、溝があったり、草むらがあったり、物置があったり、庇があったり、植木鉢や看板が並んでいたり。そういう中にもマンションの横壁がのっぺり写っていたりすると、つまらないなと感じる。町がでこぼこで、引っ込んだり出っ張ったりしてないと、コンクリートばかりじゃなく土や草地があって、固かったり柔らかかったりしないと、それからちょっと生活くさく、乱雑、猥雑になってたりしてないと町は実に味気ないものである。女の人もそうだけど、きれいばかりじゃ写真にはならないのだろう。

自分が猫だったら、と考えてみる。庇を渡って恋猫のところにとかげを渡しに行きたいし、住宅街の塀の上をくねくね歩いて空き地に出て、雀取りを楽しみたい。猫がうろうろできる町というのは、必要とあれば、さっと隠れることが出来る変化に富んだ、奥行きのある町だ。内包する物の多い、表情豊かな、温度のある町だ。猫に習って、人間も散歩をしてみればわかる。マンションばかりが続く単調さより「猫町」のようにでこぼこしている方がずっと楽しく興味をそそられるはずだから。

a0158124_911763.jpg『東京猫町』で猫を追いかけて歩いていたら町の写真集が見たくなった。嬉しいことにアラーキーは撮っていてくれたのである。今度は『人町』だ。『人町』の帯にはこう書かれてある。「人生は幸福でなければならない」胸が熱くなった。紫陽花の鉢を持って笑っている花屋のおばあさんの上に掛けられている。もうそれだけでこの写真集はいいとわかる。アラーキーが一年をかけて、作家森まゆみさんと撮った「写真版、谷根千(森さんが作っている谷中・根津・千駄木の地域雑誌)」である。アラーキーは心を込めて写真を、森さんは文章を載せている。さすがにでこぼこ、だんだん、くねくね、ごちゃごちゃ、ぼろっちいの町である。

狭い路地に自転車やら、植木鉢やら、段ボールやらビールのケースやらがいっぱい飛び出ている。商店街の八百屋も雑貨屋も洋品店も店先にこれでもかこれでもかと、めいっぱいの商品を並べる。おばちゃんやおじちゃんが呼ばれて、笑って写真におさまっている。墓地には猫がうろついている。自分だけ店先に出してある椅子に座って世間話をしているのは履物屋のおばちゃん。仲良し4人組の中学生が通る。気のいいおばちゃんの自転車が通る。駄菓子屋の子ども。お寺や墓碑。板塀のポスト。四代目面六のおじいさん。二代目指信のおやじさん。御輿をかつぐ若い衆にふんどし姿の親爺衆。浴衣のおねえさん。祭りにおどける人々。客を待たせて笑っている床屋のお兄さん。二段竿のあけっぴろげな洗濯物。看板だらけの細長い飲み屋横丁。路地の奥からネオンがもれてくるラブホテル。

森さんの文章はアラーキーの要望で谷中を舞台にした随筆のような私小説のようなものになっている。最初、文章を読むと、写真がまともに入ってこないかもな、と心配していたけど、そんなことはなくて、むしろ、森さんの文章が写真に更なる余情をつけてくれるので、なくてはならないものになった。暮らしの底が抜けてる「ざる」のような男と暮らした日々を語った『ざる』、「坊さんは雲の上の人じゃなく人間だ、富士山と同じであまり近寄らない方がいい」なんていうジョークがいい『お寺のうわさ』、道ならぬ恋の相手と行き場がなく、東照宮で寒さのために抱き合っていたら神官に見つかり怒られたという『私の神様』は心に残った。早々と撮影をきりあげて、飲み屋でビールを飲みながらする客や店主との会話、スナックでカラオケするときの会話なんかも町の、人の息づかいが伝わってきてよかった。

アラーキーがカメラを向けると、みんな笑顔になる。老若男女、歯を見せて笑う人が多い。下町だな、と思う。下町のでこぼこ、だんだん、くねくね、ごちゃごちゃ、ぼろっちいところがきっと、この飾らない、愛くるしい笑顔を育てている。
あ〜、たまらなく人恋しくなる。
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by zuzumiya | 2010-08-28 09:12 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)
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