暮らしのまなざし

木箱の犬

娘に頼まれて郵便局へ行く道すがら、びっくりするものを見た。
通りの脇の民家には、玄関扉の横に粗末な犬小屋がある。
犬小屋の入り口前にはどういうわけか木箱があり、ぼろが敷かれていて、いつも雑種犬が丸くなって寝ている。なんとなく気になっていて、いつもそこの家の前を通るときは必ず玄関先を見て、木箱に犬が寝ているかどうかを見るのが習慣になっている。
寝ているといっても犬は鼻先だけ腹の毛の中に潜り込ませて、両耳はいつでもぴんと立てている。私の歩く気配を聞き取っているのである。
たまに柵の前で立ち止まったりすると、何事かとすぐに顔を上げ、「うぉん」とひと声こちらに向けて吠えてみたりして、まずまず番犬気取りなのである。
そういうところが飼犬の役割として飯を貰っている以上致し方ないとはいえ、こちらも悪人でもないのに吠えられればいい気はしない。
「なんだよ、ばか犬」と心のなかで言い捨てたりした。
過去に1度だけ犬が散歩に出ていたのか、木箱に居なかった時があったが、玄関先に犬をつなぐ細い綱がただするりと伸びているのが、なんともつまらなくて、そんな気持ちになることに自分でも驚いた。
まあ、そこの犬とはそういう経緯があった。

今日も自転車で通りがかる際に、いつものように木箱で寝ているだろうと思っていたが、「うぉん、うぉん」と鳴き声がする。どうしたのだろうと思ったら、どこかで低く「んゃ〜おぅ、んゃ〜おぅ」と猫のだみ声がする。
「さては野良猫とでも揉めているな」
と愉快な気持ちになって、猫の姿を探してみたら、猫ではなかった。
なんと真黒な鴉が一羽、門扉に乗って、首を振り振り、猫の声音で鳴いていた。
あまりのことにびっくりし、自転車で数メートル行きかけたが、やめて振り返った。
鴉も立ち止まったこちらに気づいて振り返ったが、別段、危害はないと感じたらしく、しばらくするとまた吠える犬を見下ろし、「んゃ〜おぅ」とだみ声を作ってみせた。

まったく、いけしゃあしゃあ、とはこのことである。
犬はつながれているので門扉までは届かず、ふざけた鴉を見上げて、ただ吠え立てるしかない。しかし、鴉の奴は、門扉の上をちょんちょんと両足で弾んでみせ、まるで踊るようにして、全身で犬をからかっている。
家の者はいないのか、薄情なのか、サッシのなかの障子は一向に動かない。
犬は苛立つが、どうにもならないので情けなくうろうろしては、鴉に向かってひとつ、ふたつ吠えるのをただ繰り返すだけである。
「綱さえなければ門扉に飛びかかってやるものを」
と、犬の気持ちになって悔しく思ったが、真にそう思わしめるのは、あの鴉の背中であった。猫のだみ声を出すときに首を下げて声を振り絞るようだが、どこかいじめっ子が「やーい、やーい」と人をからかうときにするあの首の下げ方を想起させ、むっくりと盛り上がった背中がやたらと意地悪く見えた。
鴉というのは賢いとは知っていたが、猫の声音まできちんと真似して、つながれた犬にこういう悪ふざけをするとは知らなかった。
あのときばかりは、木箱の犬が哀れであった。

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これは、たしかまだ桜の咲いてた時分に別のところに書いた文章なのだけれど、この木箱の犬とはこの鴉の一件以来、ほんとうに仲違いをしてしまったようである。
私が買い物で通るたびに、立ち止まってもいないのに、顔を合わすだけで、吠えるようになってしまった。あの時、鴉を追い払わずただ突っ立って見物をしていた私をおそらく根に持っているのだろう。こちらの気持ちを知りもしないで、この文章を犬語で読んでやりたい気持ちである。
庄野さんの随筆を読んでいて、井伏鱒二が飲んで夜ふけに自宅に帰るときに、路地の角ごとに近所の犬が顔をのぞかせては「あのかただ」「やっぱり、あのかただ」と吠えられることなく引っ込んで、「私だけは長年の馴染だから、どんなに夜がふけていても、出迎えを受ける」と随筆に書いてあったというのを読んで、ひどく悔しくなって、わざわざここに載せてしまった。
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by zuzumiya | 2010-08-25 17:26 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)
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