暮らしのまなざし

世界は言葉に満ちている

先週の週末のこと。わたしが午後から出かけなければならない用があって、手早く洗濯をして、シャワーを浴びたかったのだが、夫が何を思ったか、狭い洗面所を陣取って片づけを始めた。A型夫の片づけはほんとに細かくて、たとえば、眉毛鋏や毛抜きや小さなものがごちゃごちゃと入っている小物入れが棚にあるとすると、それをいったん全部ティッシュを敷いた床に広げて、小物入れの底を四隅の隅まできれいに拭く、そしてその小物ひとつひとつをきれいに拭く、というような丁寧さなので、始まるとなかなか終わらない。
「人が忙しいときに、何やってんのよう」
カチンときたが、そもそも主婦で今は家にいるくせに、きちんと隅々まで掃除していないわたしがいけないわけで、夫は見るに見かねてのことだろうと思ったので、文句は言えない。そんなふうにきめ細かくやってもらって悪いな、とは思う。でも、どっちかっていうと「そこまでしなくても」だし、「わたしが出かけてからすりゃいいでしょ」であって、とにかく邪魔で迷惑だった。

誰かと一緒に暮らすその生活のなかで、いちばん解釈に難しいのは「やさしさ」というものだったりする。良かれと思ってやっても、その良かれが相手のいま欲しい良かれにぴったりあてはまらないと、良かれの「やさしさ」が一瞬でひるがえって仇になる。
若い頃、台所に立つ夫の背に「お皿を何枚洗ってくれたって、今、欲しいのはそんなんじゃない、愛の言葉なのに」と何度憎々しく思ったことか。
夫はわたしへのやさしさや、ふたりで生活していくことへの誠意の表れとして掃除や洗濯の家事を積極的に手伝ってくれたのだが、いつだってわたしは、言葉でする愛情表現の照れや面倒さからの「逃げ」として捉えてきた。

でも、先日、帰宅してぴかぴかな洗面所で手を洗ったとき、ふと、うれしくなった。
手を洗いながら、洗面所のそこいらを見渡して、どれもこれもがきれいに並んで、すっきりと清潔そうなのを見たら、ニヤニヤとにやけるぐらいうれしさが胸に広がった。
そして、そのとき、はっと気づいたのである。

会話というのは別に話し言葉を交わすだけを言うんじゃないな。
生活のいたるところに、話す言葉にかわる言葉が隠れているんじゃないか。

ぴかぴかの洗面所もそうだし、毎晩ふつうに出てくる温かいごはんや、なにげに飾ってある花だとか、あったかいお風呂だとか、さっぱりしたシーツだとか、玄関の靴がきれいに揃えてあったりとか……。
そういうところに潜んでいる「語られない言葉」をどれだけこころで受け取れるか、そういうのもひとつの会話なんじゃないか、と思った。「世界は言葉に満ちている」
ちょっと大袈裟だけど、そう思った。
それからわたしは手を拭いて、たぶん、出がけには忙しくて、いや、ちょっと腹立たしくて言えなかった言葉を、夫にあらためて言いに行った。
「洗面所のお掃除、ありがとうね」
夫は一瞬きょとんとしたが、すぐに、にっこり笑った。
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by zuzumiya | 2010-08-23 12:51 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)
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