玉葱の味噌汁

今までそんなに好きじゃなかった。
どちらかといえば汁が甘くなるのが嫌いだった。
でも、今ではよく作るんだ。玉葱の味噌汁。玉葱だけの、味噌汁。

ゆみちゃん、お元気ですか?

たしか品川に暮らしてるんだよね。シュンくんはうちの祐一よりひとつ上、
あゆみちゃんは、そう、たしか智美と全く同じ誕生日だったっけ。ふたりとも元気かな。
新しい旦那さんとはどう? ごめん、名前知らないんだ。
もう再婚してずいぶん経ってるはずだけど、今度はうまく行ってるかい?
去年だったかな、あゆみちゃんから智美にひょっこり年賀状が来てた。
住所を見たら品川のマンションだったから、ようやくビンボーから抜け出せたのかって、ちょっと羨ましかった。うちは相変わらず、っていうか年々ヤバくなっているよ。
今でも相変わらず、9階に住んでる。ときどき、コウちゃんにも会うよ。
ずいぶん、痩せた。いつだったかエレベーターで一緒になったとき、「俺、病気かなってぐらいに痩せたもん」って笑ってた。離婚やつれじゃん、って思ったけど、口には出せなかった。でも、たぶん、そうだったんじゃないかな。

痩せたコウちゃんを見ると、離婚ってやっぱりもの凄く消耗するんだろうなって思った。もしかして、ゆみちゃん、あなたはもう玉葱の味噌汁なんて作ってないで、バンバンいいもの食べて太ってんじゃない?
そういえば、シュンくんがときどき泊まりに来てくれるんだって。
コウちゃん、喜んでた。なんだか、シュンくん、彼女のことで相談があったらしくて、「ようやく男どうしの会話ができた」って笑ってた。自分の存在を忘れないで、父親として、実の父親として頼りにされてるの、よっぽどうれしかったんだろう。
こっちは何も訊いてないのに、コウちゃん、わたしの顔見ると懐かしがって、いつもよく話しかけてくれるんだよ。

あの頃はみんなでよく集まってバカ騒ぎしてた。
ゆみちゃん家に5家族ぐらい集まった時もあったなあ。うちが1度転勤で引越して、新しいマンションに移ったときも、家族ぐるみの付き合いなんてもうしなかった。
たぶん、はりきりすぎて疲れちゃったんだろう。残ったゆみちゃんたちだって、もうしてないってあの頃の手紙には書いてあったもんね。いい潮時だったんだな。

今思えば、親の私たちも必死だったんだ。
上の子供が幼稚園になって、早くこのマンションに友達作らなきゃってそれぞれが焦ってた。朝はみんなでマンションの前で当たり障りのない会話して、親どうし交流してバスを見送った。午後にバスが帰ってきたら、今度は子供のひとりが誰々ちゃんと遊ぶって言いだすから、我が子があぶれないようにって、仲間に入れて貰おうって、親子で気を揉んでさ。そんなとき、いつもゆみちゃんは
「みんな、うちにおいでよ。そうだよ、ママ達もみんなで来ればいいんだよ、どう?」
って、誘ってくれたんだよね。
なかには、
「えーっ、でも、田中さんを呼ぶんなら、あたし行かな〜い」
って、はっきり言う人もいたりして、私もゆみちゃんも目を丸くしたっけ。

子供たちはシュンくんの子供部屋で勝手に遊ばせて、親たちはリビングを占領して、それぞれ持ち寄ったお菓子をつまみながらいろんな話をした。
好きなタレントの話、幼稚園の先生のどうしようもない幼さ、マンションの七不思議、そこにいない奥さんの悪口……。
ゆみちゃんは、なんでも大っぴらにして、あの頃から夫婦のこともよく話してくれた。
ゆみちゃんが面白おかしく、コウちゃんの金遣いの荒さやフィリピーナとの浮気の話や「てめえ、殺すぞ」って怒鳴り合うとっくみあいの夫婦げんかや、コウちゃんの稼ぎの中から親の借金を細々と返してる話をするから、みんなも笑いながら少しずつ、自分の家のボロを、情けない旦那や意地の悪い姑への不満を話せたんだ。

今、思えば、ゆみちゃん、寂しかったんじゃないだろうか。
誰かに、笑いながらでも、聞いて貰いたかったんじゃなかったか。

誰にも誉めてもらえない、誰からも認めてもらえない、子育て真っ最中の専業主婦のうさ晴らしのお喋りは尽きなくて、どんどん相互依存して、エスカレートした。
そのうち、夕飯のおかずと子供のパジャマまで持ち寄って、よく家族で夜を一緒に過ごしたね。社会へ出てからは、同僚はいても友人はできなかったし、学生の頃からの友人も仕事や旦那の転勤と、事情や環境が変わると自然に縁遠くなってしまうものだから、家族ぐるみの付き合いっていうのが、なんだか忘れてた友情を取り戻せた気がして、うれしかったんだろう。

あの頃、旦那たちの帰りはみんな遅かったなあ。
マンションの誰ともつき合わないとしたら、そんな遅い時間まで、話し相手は子供だけになる。私たちはそんな夜の孤独を嫌って、寂しさを抱えて群れて、幾時間も、他愛ないお喋りで埋め尽くしたんだ。

あれは何の集まりだったっけ?
お好み焼きのパーティーだっけ? それとも鍋だったか?
それぞれの旦那も連れてきていたから、きっと休日だったんだろう。
旦那も参加の初めての大々的な飲み会をやったの、ゆみちゃん、憶えてるかな。
みんなお互い、それぞれの家の旦那の悪いとこ、情けないとこ、エッと驚くようなとこ、事前の奥さん情報でぜんぶ知ってるから、目の前に当の本人がいるのがどうしようもなく可笑しかった。私たち、女どうしの秘密ってことで、目配せして、でも時にはぜんぜん関係ないところで、思い出し笑いで吹き出したりして、楽しかったね。
ゆみちゃんもコウちゃんもお酒が強くて、お人よしで、ぽんぽん飛び交う江戸っ子口調の冗談が面白くて、夫婦漫才見てるようで、いろいろ問題はあるけど、とんでもない危ないけんかもするんだろうけど、でも絶対、似た者夫婦だよなあ、って思ってたんだよ。
「まったくよう、コイツはよう、こうだから」ってコウちゃんが片目をつぶれば、
ゆみちゃんも「ふざけんなってんの、バ〜カ!」と笑って返して、ふたりの会話は、人寄せの楽しく酔ったお酒のせいだったのかもしれないけど、もの凄く微笑ましかった。
少なくともあの時、わたしの目にはそう映った。
なんだ、言うほど仲悪くないじゃんって。
夫婦げんかは犬も喰わないって、ほんとじゃないかって。

飲んで騒いでしばらくして、ゆみちゃんが急に叫んだ。
「ねえ、みんな、味噌汁飲みたくない? あたし味噌汁、いま無性に飲みたい。
締めの味噌汁!」
そう言って、ゆみちゃんは立ち上がり、冷蔵庫を覗いた。
きゃははと笑って、こちらを向いた手には大きな玉葱が2個。
「玉葱しかないや」
そう言って、ゆみちゃん、あなたはくるりとふり返ると、せっせとまな板で玉葱を刻んだ。もう夜も更けて、子供の睡眠時間を考えたら、ほんとにお開きにしなければいけない時間だった。旦那たちも仕事の話、子供の話、マンションの話とひととおり済んで、喋り疲れた顔をしてぼんやり煙草を吹かしていた。

ゆみちゃんがお盆に乗せて持ってきてくれた玉葱の味噌汁。
全員分の汁椀がないからって、ごはん茶碗に入れたのもあって、大雑把なゆみちゃんらしくて可笑しかったけど、でもみんなありがたく、うれしそうに受け取った。
アツアツの味噌汁からは玉葱の甘い湯気が出ていて、赤みそ仕立てで、ほんとに玉葱しか入ってなくて。でも溶けてるのか少ないのか、何処に入ってるのかわからないくらいで、
箸を入れて引き上げると、これでもかってほど薄く切った透明な玉葱が引っかかった。
火傷しないように歯を立ててそうっと頬張ると、味噌と甘みがふんわり舌の上に広がって、思わず「うまっ!」って声が出た。たまらずすぐに、すいっと啜れば、味噌の甘辛にきゅうんと口中が絞られて、思わず、たんっと舌鼓を打った。ほんとに美味しかった。
そして、胃に落ちた味噌汁の熱さで、なんだかとてもほっとした。
ほんとに締めって感じで、浸みたんだ。
このタイミングで味噌汁を、しかも玉葱の具で持ってくるゆみちゃんの主婦としての感性ってやつに、わたしは参った。
誰もが喋らなかった。
しいっと啜る音を立てて、みんなが口をすぼめてゆみちゃんの味噌汁を味わっていた。
コウちゃんも啜っていた。
コウちゃんにとってはいつもの味で、別段、感動なんてなかったのかもしれないけど、みんなが旨いと口々に言ってるのに悪い気はしなかったろうと思う。
ねえ、ゆみちゃん、あのとき、コウちゃんがもし、
「コイツ、料理だけは結構、上手いんスよ」
って、みんなの前で誉めてたとしたら、どうだった?
そんなことぐらいじゃ、やっぱり、変わらないか。
積年の恨みは消えないか。許せないか。
離婚、してたか。

ほんとはさ、そんなに好きじゃなかったはずなんだ、子供の頃から。
玉葱の味噌汁。
でもね、あれ以来、よく作る。玉葱を薄く薄く、できるだけ薄く切って。
あのとき、かなり酔っぱらってたはずのゆみちゃんが、あんなにあるかなきかの薄さで玉葱を切ってたってことは、やっぱり、ゆみちゃんが玉葱とは裏腹に情に厚いってことだと思うんだ。
たしかにそうだよ、玉葱の味噌汁の玉葱は、うんと薄い方が美味しいんだ。

まな板の上で、玉葱を切りながら、
あの時の味噌汁を、夫婦で騒いだあの飲み会を思い出す。
引越しのトラックの姿もわからず、いつの間にか子供を連れてすっといなくなっていたゆみちゃんのことを、ひとり残されて、ずいぶん長いこと表札から3人の名前を消せなかったコウちゃんのことを、西側のベランダにずっと放りっぱなしにしてあったあゆみちゃんの乳母車のことを、思い出す。

私にとって、ふたりの離婚ははじめての友人の離婚だった。
友人の離婚ってね、自分たち夫婦の先にも、小さく不安のさざ波が立つものなんだ。
大丈夫、そう言いたいところだけど、うちの夫婦の場合もどうなるかはわからない。
変わらないものはないって、わかってるはずなのに、夫婦ってものだけは、ぎりぎりまでなんとか変えずに踏みとどまろうとするもんなんだね。
このまま踏みとどまる方が安全でしあわせなのか、
わかれて別々に生きていく方が思っても見なかったしあわせに出会えるのか、
私にはわからない。
夫婦のぎりぎりはまだ来ていない、そういうことなのかな。

ゆみちゃん、今ならどう答える? 
選んだ人生は思ったとおりですか?
後悔はありましたか? しあわせですか? 
今でも、コウちゃんをふと思い出しますか?
玉葱の味噌汁、作っていますか?

5時半の鐘が鳴った。あっという間に夕飯の支度の時間だ。
主婦ってやつはやることが多すぎて、何もかも中途半端になる。
手紙を書くことも、思い出に浸ることも、
先を考えることも、自分自身を考えることも、何もかもが。
そうじゃなきゃ、家庭を回していけないんだよな、主婦ってやつは立ち止まれない。
そしたら、わたしたちは回遊魚だ、マグロだ。
それともどうだろう。
まな板で玉葱をひたすら刻みながら、ゆみちゃんは来る日も来る日も考えてたのかな。
中途半端な、少しずつの時間を重ねて。
だからあんなに薄く切れるようになったのかな。

もう秋だね。
今日は風が冷たくて、食卓に座ってこれを書いてても足元が寒い。
うちは久しぶりに、玉葱の味噌汁にするよ。思い出しついでに。

ゆみちゃん、
今晩、あなたの家の味噌汁は何ですか?
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by zuzumiya | 2010-08-23 12:16 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)
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