再び検査へ

夜間に37度台の熱が出て頭痛や倦怠感もあり、今日も仕事を休んだ。
解熱剤を飲まなければ何処まで体温が上がるか、試したら7度6分まで行く。ネットで気管支炎を調べるも原因はウイルスで、対症療法しかできないとある。それなら抗ウイルス剤で叩けるインフルの方が早く治るじゃないかと思う。インフルじゃないのにこのまま身体を動かせない微熱が続いたら何日休めばいいんだ。予防接種しているので熱が38度にまで上がることはないだろうが、もう一度再検査して来ようと家を出た。
結果は見事に黒!インフルエンザB型だった。そうだろうよ、いつもの風邪と違うなぁと思っていたんだ。タイミングの問題だったらしい。昨日は偽陰性だったんだ。それにしてもインフルというのはウイルスが身体の中である程度に増えないと確認できんのかねぇ。それまで待つのは辛い。予防接種していなければいきなりガーンと高熱が出て、私みたいな時間と手間のロスはなかったと思うと予防接種もなぁ、とも思う。でも、断然、症状は軽いんだろう。薬局で私と隣に座った体温38度のおばちゃんは別の密室へ連れていかれ、二人して「これでもか」とばかりにリレンザを吸いまくった。薬局のお姉さんに「そこまでしなくてももう充分入ってますから大丈夫です」と軽く笑われたが、隣のおばちゃんは「少しでも…」と言いながら奮闘し続けていた。頑張れ、リレンザ!

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# by zuzumiya | 2018-01-17 12:49 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

院内妄想

インフルエンザB型なんだろうな、と半ば諦めて病院の待合室にいた。うちのクラスではすでに4人がインフルエンザB型に罹っている。診察が終わって隣に座った少年は母親との会話からインフルエンザB型罹患者だとわかった。ゲゲッ。向こうもこちらもマスクはしていたが、隣に当のインフル患者が座っているというだけで何だか緊張して普通に呼吸ができない。できれば直ちに席を立ってなるべく遠くに行きたいが、小心者の私にそんな露骨なまねはできない。そういう目で周りを見回すと、病院は保菌者だらけである。何処へ逃げても菌やウィルスがうようよしている。左隣の背の高い若い女性はこの寒いのに素足にジャージ姿で、いかにも「さっきまで寝てました」感を漂わせ、自分の風貌なんぞもはやどうでもいいくらい具合が悪そうである。トイレに立っただけなのに「もしやノロウィルスでは」と小心者は勘ぐる。「どうしよう、ノロとインフルに挟まれた!」と脳内は勝手にパニックになる。冬場の病院ではよくこういう妄想に悩まされる。ありませんか?こういうこと。
で、ひとしきり妄想で悶えてからふと気付く。インフルだったら、一週間は休みだなぁ。休みは嬉しいな、読めてない本を読もうかな、映画もちょこっと観ちゃおうかな。でも有給1日しか残ってないから給料に響くなぁ。もし、インフルじゃなかったら、園長が今日の4時半から来てくれと言ってた(超きびしくね?)から行く羽目になるのか、嫌だなぁ辛いなぁ。どっちがいいんだろう…。ううう、どっちも選べない。と言いつつ、どっちかっていうとやっぱインフルかなぁ、と怠け者の私が出る。運命に任せるしかないか。
で、結果は白。風邪からくる気管支炎だった。園内でインフルを広げた極悪人というレッテルを貼られなくて済んだのはいいが、この弱った身体でまたしても目に見えぬインフルの脅威に怯えて生活しなくてはならない。次こそインフルの波をまともに受けてしまいそうだ。インフルでなくて良かったようなちと惜しかったような、どっちつかずのへんな気持ちで病院を後にした。
その後、園から電話があって4時半からの出勤はなくなった。そりゃそうだろう、具合が悪いって早退したんだから、もう。




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# by zuzumiya | 2018-01-16 19:05 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

山本ふみこさん、読んでます。

私の読書や映画鑑賞は現実逃避だと十分自覚している。本や映画の世界にどっぷり浸って忘れてしまいたいほどのいまいましい日常なのか、とあらためて自分に呆れることもある。しかし、本で言えばエッセイ、映画で言えばドキュメンタリーにおいては、今生きているこの日々の暮らしの隅々にもう一度光を当ててその価値を見いださせてくれるような、今こうしてあることが何より幸せなんだということを再確認させてくれるような効果をあきらかに期待して選んでいる時もある。そういう嗅覚を私は持っている。もっと言えば、読んでいる途中に何度も本を置いて、自分でもなにか書きたくてしょうがなくなってくる、そういうそそられるエッセイを私は自然に選べている。出会えている。そうやって、いろんな人からたくさんの刺激や影響を受けて書いてきた。で、今回は山本ふみこさん。エッセイストであり、カルチャーセンターの講師であり、武蔵野市の教育委員でもある。料理や台所仕事から子育てにまつわるお話が多い。平松洋子さんと少し攻め位置がかぶる《丁寧な暮らし》推進派とでも言おうかな。タイトルに惹かれ、装幀に惹かれてミシマ社の『家のしごと』を読んだ。短いのでサラリと読めて「ああ、そうだった」と後からホンワリくる。ブログを更新していない、日々のいろいろを書かなくてもいられた自分をあらためてどうしたもんかなぁ、と思っている。
※『ふみこよみ』、『忘れてはいけないことを、書きつけました』読んでます。


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# by zuzumiya | 2018-01-08 16:54 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)

あけましておめでとうございます。

去年は後半、ほとんど更新をして来なかった。パソコンがいかれてしまったこと、iPadで書かなければいけない面倒がその要因として大きいが、単に更新しなくても生きていける怠惰か諦めかに心が占領されていたからだ。思い起こせばいろいろなことがあったたし、その都度いろいろな考えも想いも過ぎったはずだが、ここに書くには至らず、日々は流れるに任せた。仕事以外に好きな読書をして音楽を聴き、部屋を自分なりに飾って、映画を見ていればそれで幸せなのが私である。今年も同じように過ぎていけばいい。変わりたくない、留まっていたいと思ってもそうはならないのも知っている。
今年は来月に息子が家を出て行く。フィアンセと一緒に暮らすのだ。ついに広い家に夫婦二人だけとなる(猫が二匹と金魚も二匹、どじょう一匹がいるが)。息子は戌年で犬を飼うらしい。娘は去年からアメショを飼い始めた。みんな自分以外の誰か何かのために気持ちや労力を注げるようになってきてよかった。私の日々は変わらずを望むが、今年の目標は52にしてようやく〝貯金〟となった。今までお金のことにずっと無頓着であった。宝くじも買わないし、ギャンブルもしない。化粧品やらブランドに拘ることもない。なのに、お金を意識して貯めようとはしてこなかった。いつでもカツカツだったがガツガツしない人生だった。そういうお金に対して薄い認識からもう少しだけ気を入れて頑張ってみる意欲を持とうと思う。そしたらこの私がどうなるのか、楽しみでもある。と思ったそばから、息子の巣立ち。冷蔵庫の購入を助けてやることになった。どどんと金が出る。崩れても立て直してみせる。
明日から仕事。今日はドキュメンタリーを二本観た。ターシャとギーガ。天国と地獄であった。



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# by zuzumiya | 2018-01-04 16:25 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

今を歌え!

ネットのニュースを見てびっくりした。
エレカシがNHKの紅白に出場する。凄いことだ。ああ、ほんとうにビッグになったんだなぁと感慨深く思う。そして、こうなったからは来年は更に躍進すること間違いないだろう。さぞかしメンバーや家族、親族、友人、関係者らは喜んでいるだろう。もちろん、売れないエピックの頃からずうっと支えてきたファンだってそうだ。こんな日が来るとは…、だろう。紅白なんて、とは言わない。日本の歌い手ならこの歴史ある晴れ舞台には誰もが本音では立ちたいはずだ。売れて、知名度を上げなければオファーもないのだから。宮本さんはロックの人だが、意外とこういう権威に弱そうである。今頃、うれし涙じゃないだろうか。さて、この最高な年の最高な締め括りにどんな曲を持ってくるのか、セットは?、衣装は? 楽しみでしょうがない。
とはいえ、実は私自身は最近ではめっきりエレカシは聞かなくなってしまった。以前にも書いたように専らクラシックのピアノ曲を聞いている。実は「マスターピース」あたりからなんとなく心が離れてきて、前作の「レインボー」では心底気に入ったのは「なからん」だけだった。その後、幾つかシングルが出ていたがメロディはまだしも歌われていること(つまり、フレーズ、歌詞)にかわりばえがなくて、正直、飽きがきていたことを告白する。宮本さんの歳に抗いつつ、それでも更に上を目指す、勝ちに行くという飽くことない熱情に私自身の心の老いがだんだん付いていけなくなったんだろう。互いがまだ若かった頃には確かに悩ましき心の代弁者だったはずなのに、いつからか置いていかれた、そんな気がする。「心は巧みなる画師の如し」という言葉があるが、確かに宮本さんのように勝つ、勝つ言っていると本当に勝負運を引き寄せて物事に打ち勝てるのか、と今回思うはめになった。
新曲「今を歌え」はそんな置いてけぼりをくらった(いや、自ら彼の言葉を信じずに後ろを向いてしまった)私でも久しぶりに心が揺さぶられる曲だ。歌詞でいえば、やはり「今宵」で歌ったような、これぞ宮本節とわかるさほど変わりばえしないいつもの言葉が並ぶ。この曲でも主語は意識的に「わたし」を用いている。宮本さんの凄いところはメロディに乗せるとこの何度も耳にしてきたようなシンプルすぎる歌詞が言葉以上に深く沁みてくることだ。そうであるために、素人の私は「もっと何とかできないものか」と言葉をいじくり回したくなるのかもしれない。
「わたしは何度も生まれ変わり、そして歩いてきたのさ」なんて、一見何ということもない歌詞だが、聴きながらしみじみと「あぁ、そうだった、そうやって生まれ変わってきたのかもしれないなぁ」と思いあたる。そんなふうに歌われて、自分の幼少期から青春期、そして中年の今までの山あり谷ありの人生の幾つかの場面が思い出されて、「そういやぁ、大小にかかわらずいろんな夢を持ってその都度コロリと人が変わったように追いかけては挫折して正当化して、やがてそんなこともプイと忘れて、また人が変わったように次の興味へ移って行ったもんな」と苦笑する。そうやって生きてきたのはほんとに宮本さんの歌う「何度も生まれ変わり」だった。過ぎ去ったたくさんのあの頃のかわいくて無様でバカ正直で怖いもの知らずで健気な自分にそっと「ご苦労様」と語りかけたいような気分になる。そして、今があることを、こうやって部屋で椅子に座ってこの歌にじっくり耳を傾けていられる今があることをほんとうに心から幸せに思う。ああ、君に会えてよかったよ、ほんとに、なんて柔らかな慈愛に心が満ちてくる。
でも、そんな思い出に浸って切なくなってしまいそうな歌の後半で「今、飛びたて、今、輝け、今、戦え、心よ」と「今」をたたみかけて歌が続く。何事も諦めてしまいそうになる自分に「そうか、今なのか、この今にまだ光はあるんだ、力はあるんだ、信じろ、心よ奮い立て」という気にさせる。宮本さんが自分自身に言い聞かせるように何度もまっすぐ歌うから、それはどこか彼自身の迷いも憂いも影さえも想像させ、老いに向う後ろ向きになりがちな同じ中年の人間としてさもありなんとも思うし、そのシンパシーが離れてしまったこの手をもう一度引っ張りあげてくれたようで、非常に彼らしいあたたかくてそして厳しいメッセージをくれたように思えるのだ。この歌を何度も噛みしめるようにして、空を見て、日々を送っている。来年はまたライブに行きたいものだ。


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# by zuzumiya | 2017-11-18 15:32 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)

ペットショップの恐るべきおばちゃん

昨日、ジョイフル本田に行った。私は猫の方へ夫は金魚の方へと別れたのだが、用事が済んで夫の元へ行くと、夫は爬虫類のケージをじいっと見上げていた。
「どしたの?」
「あれ、見てみろよ、さっきからずっとぶら下ってるんだけど、どうにもよじ登れないみたいなんだよ」
見るとカメレオンがケージの天井の細かな網に両手の爪を取られて、体全体がぶらりと宙にぶら下がっている。引っかかった爪だけで懸垂のように全体重を支えているのだ。どうやったらあんな高いところに飛び移れるのか、はるか下に遊び木の枝がある。
「落ちることもできないし、さっきから何度か足を上げてるんだけど届かない」
夫が言うそばから、カメレオンはぷっくりした腹を折り曲げて力の限り腹筋を使って両足を上げた。二又に分かれた手のような足は可愛らしく申し訳程度にほんのちょっと上がっただけで、とても天井には届かない。すぐに力尽きて、またぶら〜んと体を伸ばしてしまった。
「大丈夫かぁ? あれ、ヤバいっしょ、どうみても」
「ああやって、何度も試しちゃ、休んでるんだよ、さっきから」
ケージを見上げながら喋っている私たちの脇を小さな男の子とその父親が「あんなことやってるよ」と笑いながら通って行った。
「あれ、店員さんに言わないとぜったい体弱って死んじゃうよ」
私は近くにいる店員を呼びに行った。ペットショップに似合わない茶髪にピンクの口紅の厚化粧のパートと思しきおばちゃんだった。事情を説明して、おばちゃんがてっきり男の飼育員を連れて来るものと待っていると、なんとその茶髪のおばちゃんが赤いゴム手袋をはめてこっちに来るではないか。「まさか、おばちゃん自ら?」と思って見ていると、さっさと踏み台に乗ってケージを開けると、天井からカメレオンを引っぺがして
「もう、何してんでちゅか、こんなとこ登ったらダメでちょ。下りられないでちょ」
掌のカメレオンに向かって厚いピンクの唇をすぼめて赤ちゃん言葉で話かけている。ゲゲッ。私も夫も度肝を抜いた。おばちゃん、ただのパートじゃなかったの?
帰りの車ではカメレオンの不思議よりニンゲンの不思議の方で盛り上がったのは言うまでもない。







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# by zuzumiya | 2017-11-05 13:55 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

不眠症かも…

10月は行事が続いて気が休まらず、年齢の影響もあるのかこの頃は不眠に悩まされている。でもよくよく考えてみると、珈琲を一日に5杯以上と飲みすぎていたり、夜に多く水分を摂っていたり、不眠の原因になりそうなことをしていた。なので、思い切って珈琲は朝と昼間1杯ずつだけにして、夜はハーブティーに替えてみることにした。Aroma Bloomに行って、柑橘系のリネンミストを買ったり(枕にシュッとかけてます)、2種類のハーブティーを買ったり、鼻風邪の予防に“イージーブレス”というエッセンシャルオイルを買った。これでダメなら不眠症外来にでも行くつもりだ。そろそろ、お香からアロマディフューザーにかえる季節。猫たちがお香もアロマも好きじゃないのは分かっているけど、ごめんね。
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# by zuzumiya | 2017-10-28 21:53 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

謝り癖

自分の短所というか嫌だなぁと思うところはいっぱいあるけど、特に気になるのがひとつ。直したいなぁと心から思っているがなかなか直らない。癖のようなものだ。
曲がり角なんかで自転車同士ではち合わせした時に、思わず「すみません」とか「ごめんなさい」とか、私がすぐに謝ってしまうところ。どちらが悪いというわけじゃなくお互い様なのに、すぐに詫びの言葉を口走ってしまう。で、だいたい相手の方は無言である。謝られたので私が悪いんだと思い込み、ムッとされたこともある。謝った後でいつでも「なんで、自分だけ謝らなきゃいけないんだ?」とちょっと悔しい気持ちになる。「次は謝るもんか」と心に決めても「思わず」なので、もう反射的に謝っている。悪くもないのにすぐに謝るのは自分に自信がなかったり、人からよく思われようとしているのに違いないと思う。そういう深層心理がわかるから尚更、嫌だ。

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# by zuzumiya | 2017-10-25 22:09 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

母の孤独、私の孤独

桐野夏生さんの『だから、荒野』や『魂萌え!』を50代になって再読して、連日ひとりで唸っている。アマゾンの読者コメントで知ったアメリカの作家の『歳月の梯子』も、同じように家族からはみ出てしまった主婦の逃避行を描いた篠田節子の『逃避行』も手元にある。小説の影響か、最近は一人暮らししている母の自由気ままさや自棄や私を含めた不出来な子どもたちに頼れない孤独感や不安感、焦燥感、あるいは諦念の揺れを夫婦関係のうまく行っていない自分の今や子どもたちに頼れそうもないこれからの老後に重ね合わせてみたりして、勝手に母に女の人生の戦友めいたシンパシー、同情のようなものを寄せている。この年になって、私は先を行く母の孤独がしんみりとわかるのだ、心では夫も子どももいない独り者として。いや、母の口癖の「人間、みんなひとり」に同調する一人の人間として。母にはまだ経済的にゆとりがあるが、それゆえ纏わり付いてくる真偽のわからない人の心とか人間関係の面倒がある。金のない老人になるであろう私なんぞ、世間も家族も早く死んだ方がいいんだろうなと思ったりする。この世は先に逝ったもん勝ちなのかもしれない。そう思えてならない。
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# by zuzumiya | 2017-10-22 15:11 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

男たちの話

電車で30代とおぼしき営業マン二人組と隣り合わせに座った。どうやら年はさほど変わらないが先輩と後輩のようで、いきなり先輩の方がスマホを取り出し、料理の写真を後輩に見せながら喋りだした。
先輩「この間、乾燥トマトと手羽元を煮込んでカレールーを通常の半分ぐらい入れてハヤシっぽいのを作ってみたんだよね。俺さ、煮込みが好きでさ」
後輩「いいっすね。俺、トマト好きなんすよ。トマト缶、家に箱で買ってあるんすよ。トマトって言ったら、やっぱ鶏ですよねぇ」先輩、深く頷く。
先輩「じゃあ、豚とかだったら何にする?」
後輩「豚とかだったら…、豚炒めるとにおいが出るから、やっぱ俺なんかは和風か、それか中華っすね」
先輩「中華っていったら、何?」
後輩「最近なら、黒酢かな…。挽肉だったら、挽肉とごぼうを白ワインと塩コショウで炒めて、それを小袋にとって冷凍しておいて、トマトと合わせてパスタにもしちゃうとかね。帰ってからだと料理なかなかできないっすから」先輩、ふんふんと聞いている。
先輩「そういえば、あそこ営業行った?」
ようやく仕事の話になったところで電車を降りて行った二人であった。
食品会社かなんかの営業マンだろうか。できればそうであってほしい。こんな奴らが旦那だったら、さぞかし妻は大変だろう。出されたものを旨いも不味いも言わずにテレビ見ながら食べてるような夫でよかった。背広にネクタイ姿でこうも料理話に盛り上がられては、隣でボケーっと聞いてる主婦の私は立つ瀬がない。




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# by zuzumiya | 2017-10-16 17:16 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)


ふだんの暮らしに息づいているたいせつなもの、見つめてみませんか?


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