暮らしのまなざし

お疲れ様はエレカシで

金曜日の夜がいちばんハッピー。明日は例の作文をやっつけねばならない。
久しぶりにエレカシを聞く。大好きなアルバムはいくつもあるが、今夜は「俺の道」にする。懐かしい。猛烈にMに恋をしていたあの頃の夜の道がよみがえる。仕事帰り、夜空の月を見上げては会いたい気持ちで胸がいっぱいになった。絶対に会うんだと心に決めて泣いていた。やっぱり「季節はずれの男」がいい。何度聞いても素晴らしい。いい歌詞。最近は歌詞に出てくるワードがいつも一緒で、惚れ惚れすることがなくなってエレカシ熱が停滞していた。コンサートへも行っていない。昔はほんと鋭い直球でずしんと凄かった。次のアルバム、歌詞に、歌詞に!期待します。なんて、真面目なことを書いてないで今夜はエレカシナイトでDVD三昧と行く。夢で逢いたいのはM、ただ一人。

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# by zuzumiya | 2017-05-26 21:05 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)

今、いちばん困っていること

そういうテーマで事例をあげて、夏の法人全体の研修に備えて作文を書かねばならない。悩ましい。ほんっとにこれが悩ましい。
なにせ、保育士の人手が少ないのと発達障害児に対する知識と経験のある保育士がいない、そういう園の現状を暴露しないで書かなければいけないからだ。ヘタなことを書くと園側の圧力で書き直させられるそうである。
そういう園のメンツやらを考えてたら、どこまでほんとうのことが書けるか、私の文章力では自信がない。つまり、訴えたいことがきちんとあるのにうまく避けながら、でも何か「こういうことかもしれないな」と読み手の心に残したい、そんなふうに伝える技術は私にはないのだ。言いたいことはキチンと言う、これ以外に文章に熱は込めようがない。もって回った言い方じゃ、何も伝わらない。薄まってしまう。
事例を出せというのもキツイ。事例を出すことでその現場に居合わせて、何が起きていたか思い当たる保育士は必ずいるから、疑問を呈したりすれば、それは保育士の保育批判になりかねない。
例えば、多動児の問題行動に対して、強く叱りつけて必ず泣かしてしまう保育士がいる。泣くことで高まった興奮がシュンと落ち着く即効性はあるが、そうなることで他の保育士は「泣かせることで話が入るならあの子にとってはそれはしかたのないことなのかもしれない」と思いやすい。いつしか泣くほど強く叱りつけることがデフォルトに定着してしまう。今日は叱りつけた保育士が思わず手が出たのか、たまたま当たったのか、子どもがおでこを机にぶつけて泣いた瞬間を目撃してしまった。以前の園でも多動の気がある子どもを保育士がすがる子どもの手を振り切って突き飛ばしたりもした。それだけ多動児の保育士に与えるストレスは大きいのだが、でも、泣かせてしまうことがほんとに仕方がないことなのだろうか。泣かせる以外に興奮を下げる方法を持っていない、引き出しがないだけじゃないのか。よほど危険な行為をした時なら分かるが、ご飯を食べない、寝ない、教室から出ようとするぐらいでいちいち泣かせるまで叱ると「あの子は何度泣いたらいいのか…」と思い、これを知ったら親御さんはどう思うかと暗くなってしまう。いつ何時、親御さんに見られてもいい保育を心がけたいものだ。
社会でも保育の現場においても声の大きい強い口調の先生がビシッと叱ることで場が収まると、それでコントロールできたと見なされ、力のあるいい先生と思われやすい。でも、見方を変えれば、私には犬が吠えたてて羊の群れを柵に入れて行くみたいに思えて「子どもたちは羊か…」とげんなりする。泣かすほど叱れない自分への正当化なのだろうか。今週の土日で作文を書き上げなければならない。気が重い。




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# by zuzumiya | 2017-05-25 22:11 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

最近、久しぶりにマジに笑ったこと

朝のラジオを聞いていたら、アフリカの民族音楽が流れてきた。
♫デーマラマ〜、マンデセラワ〜♬
女性コーラスにひとり聞き覚えのある声が…。
よく考えたら、
園で一緒に働いてるおばちゃんの声だった。
笑った。


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# by zuzumiya | 2017-05-23 20:14 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(1)

夢のなかの街

時々、不思議な夢を見る。
何処なのかわからないが、きっと世界のあるいは日本の何処かにありそうな、やけにリアルな街の風景のなかにいる。
昨夜の夢は、早朝、アジア系の仏教の寺院を彷徨っていた。観光に来ているようで、ひとり朝の散歩を楽しんでいた。石の階段を下りようとすると、向こうから信者らしき人々がぞろぞろと集まって来て、邪魔しちゃいけないと焦って下りていく夢だった。
こういう夢の中の街の風景は今まで見てきたTV番組や映画のシーンや写真なんかの影響なのだろうか。それとも、それらがうまく合わさって脳内で作り出された架空の街なのだろうか。もしかしたら、夢の中のリアルな街は自分の前世で見たり住んだりした街の記憶なのか。パラレルワールドの考えに惹かれる私は、何処かでもう一人の自分がいて、時々、時空のいたずらで互いの住んでいる世界をちょっとだけ垣間見ることができる。それがなぜか都合のいいことに夢の中、というのがいいんだけど、どうかな。


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# by zuzumiya | 2017-05-20 09:32 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

母の日=妻の日

子どもが小さい頃は母の日に威力があった。子どもも夫も家族中がお母さんを讃えた。感謝された。母の日は家族の一大イベントだった。しかし、子どもが大きくなると夫は「母の日は本来、子どもたちがやるもの」とイチ抜けたとばかりに関係ない素振りをしだした。自分の母(私にとっての義母)へのプレゼントだけで手いっぱいのようだった。まぁ、夫の言うのがいつだって正解で難癖はつけられないが、なんだかなぁと虚しく思う。そうでなくても妻にサプライズ的なプレゼントなどしたことないし、誕生日やクリスマス、結婚記念日などもこちらが先に匂わさなければ目立ったアクションは起こさない。クリスマスなど「面倒だし、金もかかるから互いにやり取りはやめないか」と言われた年もあった。夫だけじゃなく、世の夫族はおそらく本音では似たようなものじゃないかと思うが、ここで言いたい。子どもが大きくなっても、母の日は妻の日として捉えて、子どもとは別にこの機会に妻へプレゼントを贈ったらいいんじゃないか。きっかけがないとなあんにもできない、したがらない男たちへ。
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# by zuzumiya | 2017-05-14 18:37 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

ランチョンマットの食卓

よくドラマや映画の食事シーンでランチョンマットが敷かれた食卓が出てくるが、あのランチョンマットというのは、そんなに一般家庭の食卓でデフォルトのものなのだろうか。若い頃、ふらりと入ったお洒落な雑貨屋さんで何か欲しいのだけれど財布の中身と相談しながら何を買おうか迷っている時にとりあえずランチョンマットを買ったりした。同棲時代や新婚当初に気どって使ったこともあったが、食卓にのぼったのはほんの2、3回で、後はトースターやノートパソコンのホコリよけとして掛けていた。ランチョンマットがなくなれば、自ずと箸置きというのもなくなった。ランチョンマットも箸置きも無きゃ無いで別段、不自由しない。所詮は食卓のお飾り程度のものなのだ。その無くてもいいお飾りをあえてやるというのが、その家の主婦の美意識、食へのこだわり、心のゆとり、ひいては経済のゆとりということなのだろう。
で、あなたはもし、招かれた家の食卓にランチョンマットが敷かれていたら、どんなふうに思うだろうか。
実はこの連休中に息子の彼女が泊まりにきた。朝は、ワンプレートにスクランブルエッグ、ボイルドウインナーかベーコン、薄切りのトースト2枚。ブルーベリージャムとオレンジママレード。ミニサラダと刻んだ苺やキウイの入ったヨーグルトにコーヒーというメニューで出してみた。ここでランチョンマットを敷くという手もあるが、ワンプレートがすでにちょっとカフェ風で洒落っ気がある上に、なんだかそれでは凝りすぎている、格好つけすぎている、あるいはお客に媚びている、そんな気がする。自分がもし彼氏の実家に行って、ダイニングの食卓にランチョンマットが敷かれていたら「うわっ、この家、いちいちランチョンマットなんか敷くんだ…」と内心引いて、「これは毎回なのか、それとも来客仕様の今日だけのスペシャルなのか」と考える。そんでもって背筋を伸ばしながら「もしこれが毎回なら、結婚したら、この格好つけの姑さんにはずいぶんと気を遣うんだろうな」と警戒するはずだ。そんなふうにもし息子の彼女から思われたりしたらたまらない。話す前からランチョンマットの見栄でへんな溝を作りたくはないのである。私はどっちかっていうとジャラジャラと箸立てを掻き回し、めいめいが自分の箸をひょいとつまみとるそんな気楽で大雑把な家庭が好きだ。そういう人なのだよ。


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# by zuzumiya | 2017-05-14 01:11 | ちっちゃい器で生きていく | Trackback | Comments(0)

私の吉田さん2

詩人のくせに花が嫌いと言ったのは白石公子だったか。あれは切花だったかもしれないが、花の捨てどきがわからないというのが嫌う理由の一つだったと記憶している。
昨日、恐ろしいものを目撃してしまった。
以前に我が家の隣人としてブログにも登場したことのある心やさしい腰の低い吉田さん。彼がまたしても朝早く(連休なのに寝ていられない人なのだ)庭にしゃがんで何かしている。見ると咲き終わったチューリップを葉がまだ青々と勢いづいてとんがっていたにも関わらず、端からバシバシ引っこ抜いていた。球根の類のものは上手に育てれば翌年も咲いてくれるものとは知っていたが、私もめんどくさがりで咲き終わったヒヤシンスを数日迷った挙句、ついに先日、みんな引っこ抜いて見ないようにしてゴミ箱に捨ててしまっていた。同じことをしている吉田さんの姿を見て「ああ、吉田さんも翌年まで育てられないタイプなのね」といつにも増して親愛の情を深く抱いた私であった。
しかし、翌朝、とんでもないことが発覚した。いつもの出窓から何の気なしに吉田家の庭を見ると、咲き終わったチューリップだけでなく、昨日までわんさか咲いていたはずのパンジーまですべて引っこ抜かれ、更地化していたのである。
「なんでまた、パンジーまで!」と思わずつぶやいた。
実は我が家の玄関脇にもパンジーの鉢植えがある。そういう種類なのか、パンジー専用の肥料が残ってもしょうがないと園芸素人の私はやたらにあげていたら、ぐんぐん背丈が伸びて、伸びたからにはだらしなく垂れ下がり、たしかに花は付いているのだが葉がぼうぼうですこぶる見栄えが悪くなっている。時々、忙しさにかまけて水やりを忘れると、色が紫だけにまるで「花のお岩さん」のような恐ろしい姿になる。おそらく吉田さんは毎朝、我が家のパンジーの有様を見て「ああはなりたくない」と思っていたのかもしれない。それとも、チューリップ前夜にあの気の強い奥さんに何か酷い言われ方をされて、とてつもなく悔しい目にあったのかもしれない。あの優しそうな吉田さんがきれいに咲いているパンジーまでむしり取る(何故か表現がキツくなっている)とは、どうしても思えないのである。そうせざるをえない何か大きな事件があったに違いない。それとも、去年の夏に花壇がいつの間にかナスときゅうりとプチトマトの菜園化したので、強引な奥さんの命で、咲いているにも関わらずパンジーを泣く泣く(今度は泣いている)抜き取らされたのかもしれない。それとも、それとも、吉田さんは私が思っているような善良な吉田さんではないのかもしれない。実はそう考えるのがいちばん、わくわくするのである。
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# by zuzumiya | 2017-05-07 16:21 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(1)

母の凄さ

昨日、母の家に息子カップルと一緒に行ってきた。母の部屋をぐるりと見回すと、つくづく母はほんとにすごいセンスの持ち主だと思った。母は植物を育てるのに長けているので部屋中に大小様々な観葉植物がある。しかも「これって何?」と名前を訊きたくなるような葉の形が不思議なものがあって、いつも行くたびに新種が増えていて驚いてしまう。母がすごいと(自分の母親自慢をしているようで申しわけないが)思うのは今のように「エバーフレッシュ」や「モンステラ」がファッション雑誌のページを飾って流行るうんと以前に家で大きく育てていたことだ。もしかしたら今人気の「フィカス」あたりも前に育てていたかもしれない。植物だけでなくとにかく何でも、流行になる前に母は自分で気づいて暮らしの中にお気に入りとして取り入れる先見の明のある人なのだ。なにせ、ディスコが火のつくうんと前に神奈川の246沿いで今では伝説となった某ディスコを始めたママさんなのである。
母の家のインテリアは凄い。鏡張りの部屋でTVの取材も来たこともあったが、とにかく和洋折衷どころの話じゃない。外国旅行が趣味だった時期もあり、部屋はあらゆる国の土産物と雑貨で埋まっている。あっちの棚には仏像が、こっちの棚には天使とベネチアングラスが、壁にはエジプト柄の絵皿も北欧っぽいのも並んであり、トルコのタイル壁画に、バリ島の目をひん剥いた鬼のようなお面も飾られている。午年の人だから馬の像がいたるところにあり、そこへ「できるだけ苦労をしたくない」と梟が加わり、好きな猫となぜだが成金趣味の豹と象まである。息子が「あれ、何?」と訊いた先には水牛の角が2本おったっていた。縁起がいいからとインド旅行で蛇を首にまいた写真を自分の油彩の絵の隙間に飾っている。ベネチアングラスや江戸切子、アンティークっぽい紅茶のカップ、様々な瓶、バカラのような高そうなグラスの類が鏡ばりの壁一面に並べられ、間接照明にもこだわるタイプなので足元にはアジアンっぽい籐や絵柄のフロアライト、棚にはステンドグラスやガレとかアールヌーヴォー調のテーブルランプ、そうかと思うと女神が筒状の電灯をもたげているようなえらくヨーロピアンなフロアランプもあり、本も新聞も読まないくせにアルコランプがにょっきりぶら下がっていたりする。昔、母から「これ、高かったんだよ~」のふれこみで貰った寝椅子が、めったやたらに猫に爪とぎされて邪魔になり粗大ゴミに出したところ、あとからル・コルビジェのシェーズロングだったとわかり、愕然とした。どうも母という人間の性格が胡散臭いせいで、持っているブランドがすべて偽物、まがい物のような気がしてしまい、娘の私は粗末に扱ってしまう。今でも必ず母に思い出され怒られるのは、母から貰ったプチダイヤのネックレスが幼い娘が遊んでいた庭の砂場に無造作に放られていたことだ。価値のわからない私にくれるものはどうせ偽物だろうと勝手に思い込んでいて、娘の遊び道具になっていたのだった。今思えばそういうわけで娘はブランド好きなのかもしれない。母はアクセサリーや腕時計の類もごまんと持っていて、うん百万する腕時計もアンティークっぽい猫脚のキャビネットにそれらしく飾ってあるのだが、価値の分からない私はいつでも素通りである。
とにかく母はありとあらゆるテイストの家具や雑貨や照明が観葉植物とともに部屋中にごっちゃに飾り立ててあるのだが、それが不思議と違和感がなく、どれかひとつが浮き立つこともなく、全体が調和してシックに見えるのだから凄い。アジアンもアンティークもレトロもインダストリアルも北欧もアメリカンもみんな一緒こたなのにきれいに収まって、例えていえば、インテリアショップや雑貨屋さんの様相なのである。そういう中でアイランドキッチンのカウンターにこしかけてインスタントラーメンをすすっていたりする。凄い。私はそういう母の遊び心というか、感性を血の半分は引き継いでいるので、たしかに母に似てインテリアや植物、映画、音楽、アート好きだが、センスはまだまだ母の足元に及ばない。あんなにあらゆるテイストのものを置きながら、ごちゃまぜ感を出さずにオシャレにまとめている配置能力が自分にはない。
私も照明が好きで、下心を持ちながらベッドにあったガレの黄色いランプを褒め、アジアンにも和にもレトロにもなれそうな陶器のテーブルランプをちらちら眺めていたら、なんと母がくれた。聞くと母の自作のランプだという。一時期、母は陶芸もやっていたのだ。意外といいものを作るのでマジに驚いた。離婚を繰り返し、子供は誰ひとり育てず、仕事は水商売一筋で、今ではお客や従業員にカリスマと言われている母。置いていかれた子供としては人間性はハテナだが、美意識、センスだけはおおいに褒めてあげられるのである。
で、そういう母であるからして母の日のプレゼントほど悩ましいものはない。何をあげても既に持っているか、ダサいと言われるかしかない。でも、柄がネッシーの長い首の形になっているカラフルなお玉を「これ、かわいいでしょ」と見せてきて、「ほら、鍋やると鍋からネッシーが…」と子供のように喜ぶ母なので、変わったものならなんでもいいのかもしれない。しかし、帰り際、母から「母の日は観葉植物ね」と催促されてしまった。何をあげていいのか、母が喜びそうな変わったものがあるのか、値段は手頃か、これからネットで探しまくりの日々である。
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# by zuzumiya | 2017-05-07 15:00 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

無難にまとまるな。

デスク届く。ウォールナットのシンプルな北欧とも昭和ともとれるもの。引き出しはあるが取っ手すらない。取っ手を何にするかでアンティークになったり、インダストリアルになったりしそう。デスクライトでアジアンにもなる。茶色の幾何学模様のベッドカバーともよく合う。猫どもはサラサラのリネンの感触にうっとりとして横になっている(このカバーだけで9000円近くした)。猫毛が付くのが嫌でカバーリングしたのにもう抜けた毛が束で付いている!アームチェアに爪研ぎされないように猫どもが気づかぬうちにお洒落な布でもふわりとかけておきたいが、はてさてベッドカバーとの兼ね合いでまた悩む。イメージは畳の部屋ではないが、北欧と昭和の和洋折衷でシックなブックカフェ風(笑)。買い残ったのは本棚ひとつとラグマットと読書椅子のためのフロアランプ、最後にできればペンダントライトまで買い替えたい。インテリアは無難にまとめようと思えば楽である。インダストリアル風なら木製とアイアンを外さずに、みたいに全てがパズルのピースを埋めるがごとく決まって行く。でもいろんなテイストのものをそこここに配置しても全体的にいい感じに、その人らしく個性的にまとまっている部屋が素敵だと思う。それがデザインだ。センスだ。どこまで遊べるか。
息子の彼女が2泊してくれたおかげで夫と会話が戻った。昨日はみんなでお好み焼きを作ってビールで乾杯した。今日は歯医者と観葉植物の鉢の植え替えをする。眼科と髪のカットは明日かな。なんだか忙しく暮らしている。

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# by zuzumiya | 2017-05-06 08:28 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

連休、満喫。

a0158124_1744563.jpg連休中にやろうと思っていたことのひとつ、庭の草むしりは終了した。
それから、私の部屋の観葉植物を置いてあるミニチェストのペンキ塗り。ガーリーな薄いピンクだったが、部屋の雰囲気が変わったので、紙ヤスリをかけてウォールナット調のダークブラウンに塗り替えた。アンティークっぽく変身して大満足。110センチ幅のホワイトのデスクは夫にあげて、新たなデスクが今週中に届くのを待つ。
今日は息子の彼女が泊まりに来ている。大画面でみんなで映画を見るつもりが私が眠たくなってしまった。そういうこともあろうかと、夕方、ひとりで「写真家ソール・ライター、急がない人生で見つけた13のこと」を見ておいてよかった。カラー写真がすごくいい。雨粒のついたガラス窓越しのNYの街の風景が素敵。写真集が欲しくなった。今、渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで写真展がやっているが、せめてもポストカードとか売ってるかなぁ。職場の友人と来月に行く予定。明日はベッドカバーが届く。息子と彼女と母のところに顔を出すつもり。この連休中に髪をショートにしなくては。


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# by zuzumiya | 2017-05-04 22:38 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

ふだんの暮らしに息づいているたいせつなもの、見つめてみませんか?
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